SIer/年収1000万を手放した私 ( 後編 / 復活の章 ) 〜 webエンジニアの 挫折者から生存者へ 〜

f:id:tai-hey:20200102180048p:plain

はじめに

みなさま、おはこんばんにちは。


私は プレイド のエンジニアの大平(おおひら) (@Victoria_Peak_) と申します。 7年勤めた野村総合研究所を辞め、2018/07〜現在まで 株式会社プレイド で勤務しています。

twitter.com

日々の活動内容(プログラミング・SaaS/SIerロードバイク・減量など)をつぶやいたりしておりますので、本エントリを読んで興味を持たれた方は、twitterでフォロー、リプライ、メッセージなどをいただければと思います。基本すぐに回答します。


本エントリは、去年2018年12月に執筆した、 前編 と、 今年2019年9月の 中編後編 の 挫折の章 の続編になります。

www.taihey-blog.com

www.taihey-blog.com

www.taihey-blog.com




- 対象読者

  • エンジニアに限らず前向きに人生のチャレンジをしようとしている方
  • 人生のレーンチェンジを考えている方
  • SIerからwebエンジニアになりたいが、実際はどのようになるのかを知りたい方
  • 未経験でwebエンジニアに転職したが、業務に挫折しかけている方
  • 30代以降でなにかにチャレンジしたい方


- 本連載の構成と後編について

エントリの構成は下記の通りです。
- 前編 (NRI〜転職決意まで)
- 中編 (退職〜プレイド入社まで)
- 後編 (転職後〜現在まで)

  • 挫折の章  
  • 生存の章  ※本エントリ
  • 反省の章


本連載は、私がSEを7年勤め、年収1000万のキャリアを積むも、自身の本当にやりたいことに気づき、転職してwebエンジニアになり、1年と少しが経つまでの体験談を綴っていきます。2019年は転職含め怒涛のように環境が変わっていきました。恵まれた高給の大企業の環境から、直近の年収アップを捨て、個人の技術力が勝負のwebエンジニアとしてスタートアップに飛び込み、他のことが手に付かないほど業務に四苦八苦していました。社会人になってから転職後はおそらく私の社会人人生で一番長く、苦労した体験になったと思っています。

後編はいよいよwebエンジニアとして入社後の奮闘記の話となります。

今までで一番内容が濃く、心境やスキルの状態が様々に変化するような、厳しいチャレンジが続く期間でございました。業務の中でかなりたくさんの失敗を続け、必死にもがいた期間でありました。 そのため、現実では複雑に内容が絡み合い、伝えたいことがぼやけてしまうので、後編を3つの章にわけることにしました。はじめは、ストーリーメインで、転職した直後の 2018/07〜2018/10 くらいまでの 挫折の章 となります。次は、どん底であった状態から無事生存するまでを書いたお話、2018/11〜2019/10 までの 生存の章 を執筆します。

生存の章までの一通りストーリーの流れを見た後は、苦しんだ経験の私自信どこがまずかったのを振り返り、分析する、反省の章 を執筆したいと思います。

もしかしたらwebエンジニアとしてはもっと安全で楽な成長の方法があるかもしれません、私の体験が正解とも思っていませんので、どのエントリも一種の体験談として読んでほしいと思います。

まずは、後編・挫折の章までの振り返りからいきたいと思います。

- 前回までのあらすじ

前編参照: 新卒で文系SEとして野村総合研究所(以下NRI)に7年勤務しましたが、PM・業務を考えるマネジメントメインのロールモデルではなく、エンジニアとして構造や処理を考えるロールモデルを目指し、転職を決意し転職活動を開始します。

中編参照: 転職活動は苦労の連続でした。はじめに応募した大手のエンジニア職などを20社ほど応募するも全落ちを経験します。次の応募群ではコードも書くビジネス職をおすすめされることに、違和感を感じます。そこで修行と称し、100%業務でコードを書くエンジニア職を目指すことで腹をくくります。年収を 1/3 にしてもよいからとコードを書く環境を求めがむしゃらに応募し、晴れて現職の会社 プレイド と出会うことができました。


後編/ 挫折の章 参照: 数ヶ月にわたった選考全落ちを経験した厳しい転職活動を経て憧れのwebエンジニアとして入社した私。入社当初はキラキラしている環境に浮かれていたものの、業務に入った瞬間に沢山の壁にぶつかります。新人エンジニアくらい全く業務が出来なくて挫折の穴に落ちていきます。

本エントリ、後編/ 復活の章 は前章でどん底に落ちた私が挫折者と生存者の狭間でどう苦しみ、身体やメンタルをボロボロにしながら、転機を経験してどう復活していったかを書いています。 それでは前章の最後、ブランチをぶっ壊してしまった事故のところから再開しましょう。



※ 一応現職の話がメインになりますので、内容は私の体験と心境、会社で現状オープンになっている情報をベースにしております。会社の意図や戦略とは一旦切り離して読んでいただければと思います。

ブランチをぶっ壊す事故が私をどん底まで突き落とした

- 頭に血が登り顔が熱くなる感覚が身体を襲う

前回、後編/(挫折の章) の最後でブランチをぶっ壊してしまった私。

その時はリードエンジニアの方が素早く対応していただき、検証環境の弊社範囲内で閉じることができ、 事なきを得たのですが、前職でいつの日か本番障害を起こしてしまった時のように本当に焦りました。(是正ももちろんしました。)


しかも私はややこしい壊し方をしてしまったようで、トリッキーな方法で直さねばやらねばならないようでした。 目の前でリードエンジニアはじめ数人のエンジニアさんがいろいろフォローしてくれているのですが、 私はただ見ているだけ。NRI時代は障害の状況を整理し、パートナーさんに指示、復旧作業、お客さんへ報告資料を作るなどを一人で指示したりしていたのですが、 今は全くなにもわからず、発言の一つもできませんでした。 頭に血が登って顔が熱くなる感覚が身体を襲いました。


金融系のシステムは一桁ミスったり、エラー1つで大騒ぎだったりするので、 事故をやってしまった感覚が身体が覚えており、手が震えたり、緊張状態がしばらく高く続きました。

この事故がきっかけで私の気分の高揚は一気になくなりました。圧倒的無力感です。

「中途で入ったのに迷惑かけてしまう」
「一刻も早く戦力にならないと」
「あ、やばい、でも事故って他のこともいろいろやるの怖い、緊張する」
「何をうかれているんだ、遊んでいるとかそんな場合ではない。」

そんな心理状態に陥っていました。 周りのエンジニアの方に優しくしていただけたのですが、 おそらく気づけば私は、このときから自分を必要以上に追い込み始めていました。


- 爆速で成長することを決心。それが裏目に。

自信と浮かれ具合を一気に消失した私は、迷惑をかけないために、 一刻も早く一人前のエンジニアに成長するために、自分の成長イメージを設定します。

メモに目標を書いていきます。 一ヶ月で基本的なバグフィックスができるようになる。3ヶ月で簡単なモジュールが追加できる。 半年で新規で機能を作れるようになる。。etc...

これも特に成長には関与しません。全くの逆効果でした。 ただただ自分を焦らせる結果になっただけなのでした。 どんどん実態の自分の成長からは離れ、目標を下方修正するもまだまだ届かない。 そしてそれを行うことで自分のダメさを再認識することになり、自分を追い込んでいきます。

つらすぎて3ヶ月ほどでこれはやめることにしました。


11月〜2月:冬。チーム変更。人生最大のどん底。潰れる。

- チームが変わる。CPOからのメッセージは、「成長しろ」

入社から3ヶ月たった2018年10月、ダメダメかつ事故った私は、チームが異動になります。 弊社はちょっと特殊で、フォーカスといって数ヶ月でその時最適な開発活動ができるように、チームが流動的に変わる仕組みになっています。 その流れのチーム異動の中で転機となる人と出会うことになります。

blog.plaid.co.jp

チームが大きく変わる人に対しては、CPOからやりたいことがあっているかとか、ミッション概要的な話を軽くミーティングします。

私はその際にCPOから

「成長するんだ」

とメッセージを受けます。

数ヶ月ダメダメだった私はこれが転機と考え再度ここで成長を決心します。 ただ現実は残酷です。決心は新たにしても成長できるものではありません。


- 生活の全てをエンジニアリングに捧げる

事故ったことがトラウマで、遊んでいる場合ではありません。チームも変更になったことですし、何かを変えなければいけません。生活の不要なものをすべてを捨て、全てを自分の成長に捧げることを誓います。

やったことは下記のとおり、食生活・睡眠・通勤まで全てを変えていきます。

www.taihey-blog.com




- ダメな私を救ってくれた先輩エンジニア

新しく入ったAPIを作るチームでは、APIを管理する画面を作成するため、私はフロントエンドを中心に担当し開発することになります。画面をいくつか振られ、開発を進めていきます。

生活の全てをなげうっていますが、そんなにすぐに成長はできませんでした。注ぐエネルギーとは裏腹に、状況は特に変わらず相変わらずダメダメでした。Vue.js のフロントだけの開発になりましたが、まだまだ満足にissueをこなせません。

そのチームは slack で今日何をするのかを報告をするのですが、ずっと同じissueを繰り返し、苦戦していることを報告します。フロントだけなのに、何も進まない。同じようなエラーと戦い続けていました。


そんな中見かねたのか、同じチームの先輩エンジニアにペアプログラミングをしていただけるようになりました。

この方との出会いが私のエンジニア人生をどん底から救うことになります。

隣同士で座り、二人で同じコードを見て、先輩の指示でコードを書いていきます。

「まず作りたい画面を呼び出すコードはこうなってて、ここに追加するにはここのコードに〇〇って書いて... エラーがでたね。これはどういう意味か分かる?ググると〇〇とでてくるね、そしたらVueのマニュアルをみて...」

とまさに一挙手一投足。

そこで私は本当に基本的な動作が足りていないことに気づきました。

  • 環境構築の方法、切り分け方
  • webアプリの段階的な作る手順(DOMを追加する、データを取ってくる、データを表示する)
  • ソースコードの全体感・細かい読み方
  • エラーの見方・切り分け方
  • 英語マニュアルの読み方、調べ方
  • 海外のエンジニアのやり取りの調べ方

ペアプログラミングに夢中になっている中、気づけば外は暗くなっていて、8時間ぶっ通しでやっていました。その日は一旦終了。疲れ果てていました。

後日も詰まった時は細かくペアプログラミングを何回かしていただき、これがきっかけで本当に少しだけ、フロントの基本動作はできるようになりました。

その後も2ヶ月ほど開発以外でも基本的なエンジニアの動きなどを 1on1 していただき、立ち上がりが少し出来たように思います。

先輩は既に退社されているのですが、未だに会う機会があります。その時の話を未だにすることがあります。私の一番つらい時期を支えていただいた方でした。


- 他人と比較し、自分で自分のメンタルを劣等感でえぐってしまう

先輩から助けられつつも、追い込み始めてから数ヶ月、メンタル的にもだいぶきつくなってきます。 今となっては下記のような自分への責めが、状況を悪くしていたように感じます。

私の次にも何人もエンジニアが入ってきます。
どなたもエンジニアをやったことがある人ばかりです。

入社後2週間で機能をアウトプットして発表されていたり、issueを普通に解いて貢献をされています。 エンジニアはアウトプットがすべての世界です。そのように称賛されている姿を見るとアウトプットの出せていない自分と比較して自分を責めてしまいました。

新卒や学生インターンも優秀な方ばかり(機械学習の研究室だったり、自分でwebアプリをバリバリ作っていたり)です。同じ様に劣等感を感じてしまいます。

挫折の章で書いたように、私は異業界×異業種 のレーンチェンジで完全未経験。

何年もエンジニアをされていた方々に勝てるわけはないのです。比較してもしょうがないのですが、自分はあくまでも中途で30代。本来はすぐにアウトプットを出さなければいけないはず。スタートも一番出遅れているし、成長も一番遅い、とまた自分を責めてしまいます。

「人のアウトプットをみて、すごいなと思う。けど自分は何もアウトプットできていない。エンジニアはアウトプットが全てなのに自分が何を作ったかなんて、全く言えない。価値が出せていない。辛い。」

まさに No Value。ついには、自分はここにいて良いんだろうか。と思うまでになっていました。どんどんダークサイドに闇落ちしていく自分に気づいていましたが、止められずにいました。


- ここで無理が身体にくる

年末にかけて冬場になってきました。生活を変え、精神的にも肉体的にも自分を追い込み、すべてをコード書くことに注ぎました。

ここで身体に異変を感じるようになります。 メンタルもやられていると共に、身体にもガタが来たのです。

目頭が痛くなり、肩がガチガチに凝り、集中力が続かなくなってきたのです。
またみぞおちもモヤモヤして気持ち悪い、不安な心理状態が続いていました。

流石にまずいと思ってとりあえずマッサージにいきました。診てもらうとどうやら同じ姿勢(特に私は猫背)でコード書いているのと、業務での緊張状態が続いたため、緊張することが普通の身体になってしまっているようでした。 目の痛みに耐えられず、眼科も受診しましたが、目の使いすぎで頭皮まで固まってしまっているそう。それは土日寝まくっても回復しないわけです。

体力は落ち、体重も入社から6kgほど増えていました。 習慣になっていたロードバイクをほぼお休みしてしまい、運動量も減ってしまっています。ストレスで食べる量も増えたことが原因だったようです。


- 潰れる。

このように自分への立て続け与えたの劣等感で身体もメンタルもボロボロになってしまっていました。ちょうど連休だったのでどこかに行こうと思うこともなく、家でただただ寝ているだけ。
本当になにもしたくなくなりました。俗にいう潰れた状態に近かったのではと思います。

平日はなんとか出社はしていましたが、丁度チームもリリースが終わり谷間を迎えましたのでリモートをはさみつつ様子をみることにしました。 弊社は裁量でやっているため、やれる量は個人の判断にほぼ任されます。

私は自分で自分をストイックに追い込み過ぎました。

なんとかここらへんで稼働を抑えることで回復を中心に行うことにしました。これは年始〜2月くらいの話で、人生史上辛い冬となりました。

治療としてはマッサージや鍼治療などで肩・背中・目を中心に回復していきました。 休みはPCを見るのを控え、公園などでぼーっとすることなどで気分転換をすることで身体をいたわっていきました。


プライドを捨てることでスタンスの変化で訪れた転機。少しだけ技術的希望も見えてくる

- 様々な方に助けられ、基礎を叩き込み、技術的に見えてきた範囲

こんな身体もメンタルもボロボロで、どん底の状態です。私はどうなってしまうのでしょうか。


- 環境構築をはじめからペアプロしてくれたCPO

ちょうど新しい環境で開発するプロジェクトだったのもあってか、 見かねてなのか、環境構築はCPOが0からのペアプログラミングをしてもらう機会がありました。 挫折の章でぶつかった壁である環境構築を少しずつ克服していくことになります。

コマンド一個一個がうまくいくかどうかを確認しつつ進めてくれ、いつもは複雑に絡み合ってできている環境ではなく、 素の環境構築を経験することが出来たと思っています。




- CPOに言われた「プライドを捨てろ」「プログラミングに近道はない」「勉強中」

そんなペアプログラミングの中で私の心境を変える言葉がありました。

  • プライドを捨てろ

   → 出来ない前提でいいから質問しろ、知ったかぶらずしつこく食らいつけ

  • プログラミングに近道はない

   →すぐにはできるものではない。焦るな。

  • 勉強中

   →勉強中なのだからわからないところはわからないとはっきり言え。

どの言葉も、総じて自分の理想を作らず、追い込まず、ハードルを上げず、愚直に進めないとエンジニアリングは身につかない、ということだと思います。

確かに私は

「エンジニアとは、自分で調べて自分で実装するのものだ。人に頼っていてはだめ。特に私は中途だし。自分でやりきらないと本当に理解したことにならない。」

と思っていました。


これが一種のプライドの高さだったのだと今では思います。中途で活躍しなければというプライドを持っていた私にとって一つ一つが自分の心にささりました。




- 他のベテランエンジニアにも助けてもらう

ここから徐々にプライドを捨てて質問をしだしてから、周りから扱いも変わってきました。どんな基本なことでも素直にわからないと言い、質問をしつこくしていると、状況が伝わったのか、新しいチームになったベテランエンジニアの方にも丁寧に教えていただけるようになりました。スタンスを変えることで状況が少しずつ変わってきたのです。


- webアプリの基礎技術スタックを叩き込む

勉強中のスタンスをとってから初心に帰り、本当に基礎からやりなおすことにしました。 年末年始も返上で自分でコードをかたっぱしから読み、チュートリアルを試し、 Vue.js/Node.js/express/HTML/webpack/などがどのようにつながっているのかを調べるため、一つ一つコードを書き、インプットしました。 この活動は、本来一番初めにやらなければいけないことをだったように思います。私は成長に必ず必要な、大事なところを飛ばしていたようでした。基礎からの積み上げの大事さを学び、技術的な転機もこの頃だったと思います。


もう一つの転機。ブログ執筆。

- 初個人ブログ執筆・初バズリを経験


ここで No Value だった私にもう一つの転機が訪れます。ブログの執筆です。 年末から2月にかけて2つのブログを書くことになります。

まず1つ目は何気なく自分のブログを日記がてらにやろうと思い立って執筆した個人ブログになります。

www.taihey-blog.com

こちらはしがないアドベントカレンダーの21日目として出すことになります。 SIerからの転職が流行っていた?ので私もその流れで書くことにしました。

あまりブログなど執筆したことがなく、期限まで時間がなかったので、慌てながら書いたことを覚えています。

このエントリは、エンジニア界で一つの指標になっているはてぶ (ブックマーク。いいね・シェア数のようなもの) では 340 を頂き、ページビューでは 2万PV ほど記録することができ、初のバズりというものを経験しました。twitterはてブの通知がおいきれないほど来たりして、忘年会どころではなく、興奮がやみませんでした。


- 初エンジニアブログ、自分の経験をアウトプットすることを経験する


更に私はもう一つ、会社でのブログを書きます。

弊社ではエンジニアブログを持ち回りで書いていくのですが、私にもこのタイミングで回ってくることになりました。

本当にここまで No Value だし、なにか、何かで会社に貢献しなければならないと必死に考えました。そこで書いたのが自分のキャリア特性を生かした下記のブログとなります。

tech.plaid.co.jp

始めての技術ブログではあったのですが、推敲などいろいろな方に協力いただき、NRI時代でも書いたことのない記事を出すことになります。

この記事も 65 はてブをいただき、自信になったことを覚えています。

このあたりで私はコードだけではなく、ブログでのアウトプットを出せることに気づき、少しここで活路が見えてきたように感じます。


- 知り合いのカンタンなwebアプリ製作のお手伝い


ブログだけではなく、コードでもアウトプットを出すように動き出します。課題感にあった実装力を鍛えるため、複雑な KARTE を離れもう少し自分の身の丈にあったプロダクトに触れて経験を積みたい、 と思うようになりました。

その際にブログを読んだ知り合いから、「個人のアプリを作っていて、手伝ってくれないか」とお声がけいただきました。春先から夏まで、短期間ではありましたが手伝うことになりました。そのプロダクトも Node.js ベースで、実装を手伝うことでwebアプリの開発経験として良い経験になりました。


- ブログをきっかけの出会い。


webアプリのお誘いのように、ブログを出してから、twitter経由で様々な人にお声掛けいただき、会うことが増えました。
転職経験のインタビューを受けたり、webエンジニアへの異職種の転職相談をされたり。やはり転職エントリが響いたようで、それがきっかけで今も人と会うことが多くなりました。また、新たな世界が広がるとともに、自分の一個人としての価値について考えるようになりました。アウトプットすることでこんなにも人に影響を与えることがあるのかと。




4〜9月:春。どん底・挫折者からの生存者へ。

- 苦しんで覚えたフロントエンドで成果がでる。

ボロボロで挫折しかけたころから考えると嘘のようですが、ここまできてやっと生存したと実感するようになりました。文字通り春を迎えることになります。

1月まで担当してたチームが変わり、ジョブ配信系のチームに異動となります。

サービスリニューアルのプロジェクトで、チーム的に入り口としてもフロントエンドを中心にやったほうがやりやすいという配慮もあり、ここでも春先までフロントエンドを中心に行うことが多くなりました。


つらい時期もありましたが、気づけばフロントエンドを中心に3-4ヶ月やったおかげで、issueも少しずつ進めることができるようになり、自分の中でフロントエンドとは何かを整理・昇華できるようになってきました。

業務としても、フロントエンドならなんとかなる、Vue.js については一人前まではいかないまでも、半人前強くらいには実装できるようになっていました。

また、このタイミングでエンジニアブログの順番が回ってきて、業務経験を整理した内容を記載した下記のエントリを執筆します。

tech.plaid.co.jp

こちらも他のエントリとは違い、技術的な内容ながら、かなりご好評いただき、2万PV・455 はてブほどを記録し、多くの方々に見ていただくことになりました。ありがとうございました。

このエントリをネタに秋にかけてLTをいくつか登壇させていただき、リアルな意見をいただくこともできました。


また、年末にも一年間のwebエンジニアとしての経験から下記の人材についてのエントリも執筆し、キャリアの方向性も見えてきたように思えます。未経験/レーンチェンジが自分の原点になったのかもしれません。

www.taihey-blog.com


活路が見えた現在。「挫折者」ではなく、これからの「生存者」としての私。

昨年の冬は 挫折者 になってしまうギリギリのラインまでいっていました。本当に人生で一番つらい経験となりました。そしてつらい時期を越えて数ヶ月経ち、生存者 としての私として生きていきます。

それから私はどうなったのか。昨年9月から2020年1月現在まで、ビジネスエンジニアというチームに所属して元気にやっています。

www.wantedly.com

KARTEは、CXプラットフォームというプロダクトとしてプロダクトアウトでの開発がメインになります。 ただ、それだけだとビジネスに最適にフィットさせることは難しいです。 多少は顧客のニーズに合わせて開発することが必要になります。 ビジネスと会話し、プロダクトの特性を最大限に引き出すように開発を行うことがこのチームのミッションです。

私はもともとSI出身でビジネスと会話でき、要件定義経験があるというのと、性格あっているからだと思うのですが、ビジネスをドライブさせる開発がとても好きなので、このチームのポジションはとてもあっていると思います。

弊社には少ないタイプである「プロダクトアウトの会社で生きるマーケットフィット人材」として価値を出していこうと思っています。具体的には、今外部連携API の開発を行っています。フロントエンドだけでなく、サーバサイドにも担当範囲を広げ、開発を行っています。公開できる状態になったら、このブログでも発表したいと思います。




まとめ

お読みいただきありがとうございました。

30代、未経験で大企業の恵まれた環境やキャリアを捨て、スタートアップの技術力一本で勝負する環境に飛び込んだ私。転職も全落ちを経験し、転職後も自分のできなさに自分を追い込んでしまい挫折を経験しました。

あのつらい時期、もしかしたら挫折者としてwebエンジニアを辞めていたかもしれません。でも周りの方々の助けもあってなんとか生存しています。

かなりつらい経験となりましたが、不格好でも全てをなげうっても本当にやりたいことにチャレンジする、このことを学ぶよい人生経験になったと思います。

赤裸々に語ってきていますが、どんなバッシングのコメントを頂いてもかまいません。中編までのエントリを読んでいただいた方で、何名かにエントリを読んで元気がでたといっていただけました。転職や人生を変える決断を岐路にたっている方々ともお会いし、少しでも背中を押せたのかもしれません。

そんな方たちと出会うことで、私自身もチャレンジした経験を執筆する価値、活動をする価値と喜びを感じました。

未経験でwebエンジニアになりたい方を始めとして、私は少なくともそんな人生を変えようとしている方や、再スタートをしようとしている方に届いてほしい。そういう思いでエントリを書いています。


次回について

次回はここまで来たストーリーを振り返りながら、自分の心理状況、反省会をしたいと思います。マインドでの反省、スキルを習得するのになにをしくじってしまったのか。次回やるならどうするのか。しっかりとここで分析・反省をしていきたいと思います。

それでは、今回はここまで。人生にチャレンジするみなさまの成功を願いながら、復活の章は筆を置きたいと思います。 ありがとうございました。




P.S. 日々の活動の記録を見たかったり、転職やその他仕事についてご興味がれば下記までよろしくお願いします。

twitter.com www.wantedly.com